
沖縄の建物の入り口に、1対の獅子像がいます。これが、沖縄の守り神である、シーサー。沖縄の風景には必ず登場するシーサーですが、彼らにはこんな驚きの秘密があります。
そもそもシーサーとはいったい何者?
沖縄のお土産としても定番のシーサーですが、意外と知られていないのが、その歴史や由来。実はシーサーには、こんな驚きの歴史や由来があるのです。
シーサーはシルクロードを渡ってやってきた
シーサーは、中国から沖縄へやってきたという話は有名ですが、その起源は、中国ではありません。シーサーの原型は、実は古代オリエント時代の獅子(ライオン)にあるといわれています。
当時、発展を遂げていたエジプトやインドにおいて、権力者の強さの象徴として作られていたのが、獅子の石像。これが、シルクロードを横断し中国へと渡ります。
ところが、当時のアジア大陸には、この石像のモデルとなったライオンは存在していません。見たことのない伝説の生き物であったライオンは、アジアに住む人々の想像力を掻き立てます。長い歴史の中で、当時の人々が思い描く幻の聖獣は、独自の解釈を加え少しずつ形を変化しながら、13~15世紀ごろ、中国を通じて沖縄へと伝わります。
さらにここから独自の発展を遂げ、現在のようなシーサーの形が出来上がったといわれています。
沖縄のシーサーが持つ加護とは
沖縄の守り神として有名なシーサー。沖縄では、建物の屋根や門柱などに対になって設置されています。
今では一般の民家でも設置されているのをよく見かけるのですが、もともとは、城門や神社、王陵、集落の入り口などに、魔除けとして設置されていました。
これが一般の庶民の間でも広く設置されるようになったのは、19世紀末のこと。それまでは、琉球王府の建物や公共性の高い場所、一部の特権階級のみに使用が制限されていた赤瓦ですが、この時期になると、一般の民家にも使用することが出来るようになります。
とはいえ、貴重な赤瓦を使って建てる家ですから、台風や自然災害などから家屋を守るために、一般の民家でも、屋根に魔除けとしてシーサーを設置するようになったといいます。
漆喰シーサーは職人のおまけが起源?
屋根の上に設置されているシーサーの中には、漆喰性のシーサーも存在します。これを、一般的には「漆喰シーサー」といいます。この漆喰シーサーの起源は、屋根職人のおまけが始まりだったといいます。
もともと漆喰とは、屋根瓦の接着剤として使われていました。そのため、屋根職人たちは、この漆喰を使って、一つひとつ手作業で、屋根瓦を設置していきました。でも、接着剤として準備した漆喰が、余ってしまうこともあります。その余った漆喰を使って、屋根職人たちがおまけで作って屋根に設置したというのが、漆喰シーサーの起源といわれています。
シーサーは男女ペアが基本
シーサーをよく見てみると、口を開けているものと、口をしっかりと閉じているものがあるのに気が付きます。
口を開けているシーサー
口を開けているシーサーは、雄のシーサーといわれています。仏教の金剛力士像における「阿吽」の考えになぞらえると、雄のシーサーは、「阿吽の阿」の意味があります。
大きく開かれたシーサーの口によって邪気を払い、さらに福を呼び込むという意味が込められています。一対で設置されている場合、一般的に、左側に設置されています。
口を閉じているシーサー
口を閉じているシーサーは、雌のシーサーといわれています。雄のシーサーによって呼び込まれた福を、外に漏らさぬように、シーサーの体の中(家の中)に閉じ込めておくという意味が込められています。
一対で設置されている場合、一般的に、右側に設置されています。
沖縄本島で見られる巨大シーサー
沖縄の守り神として県内各所で見られるシーサーですが、中には、こんな巨大シーサーも存在します。
那覇のうふシーサー
「うふ」とは大きいという意味があります。壺屋焼で有名な那覇市には、2つのうふシーサーがいます。
壺屋うふシーサー
壺屋やちむん通りの近くに設置されているのが、壺屋うふシーサーです。特色あるショップが並ぶ、「浮き島通り」の入り口にあります。
- 住所:那覇市壺屋1-8
- 駐車場:なし
さいおんうふシーサー
那覇市牧志駅前にある「さいおんスクエア」の一角に設置されているのが、さいおんうふシーサーです。国際通りの入り口にありますので、国際通り散策の途中でぜひどうぞ!
- 住所:那覇市安里2丁目1
- 駐車場:なし
残波岬の巨大シーサー
残波岬憩いの広場内に設置されている、残波大獅子。彼が見つめる視線の先には、真っ青な残波の海が広がっています。こちらのシーサーは他のシーサーとは比べ物にならないくらい大きいです。
- 住所:沖縄県中頭郡読谷村座喜味9201字宇座岬原
- 駐車場:あり(無料)