首里城

「美人は得をする」と世間一般では言われていますが、美人と呼ばれる女性ほど、悲劇的な人生を送るということもあります。そんな「美人は苦労する説」を実証してしまった絶世の美女が、琉球のお姫様にいます。

お姫様は楽じゃない!絶世の美女といわれた姫の幼少期とは

キレイな着物を着て、美しいものに囲まれて、毎日何不自由なく過ごすことが出来るお姫様という存在に、女性なら一度はあこがれるはず。その上、成長した姿は琉球王国一の絶世の美女ともなれば、さぞや恵まれた幼少期だっただろうと思うはずです。

ところが、お姫様には、お姫様なりの苦労があるようです。特に、絶世の美女と呼ばれた琉球のお姫様・百度踏揚(ももとふみあがり)となれば、彼女にしかわからない大変な苦労があったに違いありません。

血筋がスペシャル過ぎて苦労をするお姫様

国のお姫様ともなれば、できるだけ高貴な血筋を引くのが、その後の将来を左右する大事な要因です。父親は、琉球王国の最高実力者である国王で、母親は国王の妻であり王妃ですから、王女となれば両親の血筋は保証されています。

でも、百度踏揚が生まれる以前の琉球は、非常に政治的な基盤が不安定な状態でした。国全体は南山・中山・北山の3つに分かれ、それぞれがお互いをけん制しながら徐々に勢力を拡大していく、まさに戦国時代。この3つの勢力は、それぞれ独自のルートで中国との交流を深め、資金や軍事力を高めていたため、いつ勢力争いが起きてもおかしくない状態でした。

戦国時代

こうした状況が100年続いたある日、ついに3つの勢力は激突します。この戦いによって建国されたのが、琉球王国でした。琉球王国は、国の統一は無事に成功したものの、いつ、また別の地方勢力が台頭してくるかわからない状態。そこで、少しでも国家を安定させるために行われた政略結婚が、百度踏揚の両親の結婚でした。

そのため、血筋的には、当時のお姫様としては申し分のない百度踏揚なのですが、そもそも両親の結婚が政略結婚だったということや、常に周辺の地方按司たちにおびえながら暮らさなければならないことなどを考えれば、子供としてはかなりつらい幼少期を過ごしていたといえるかもしれません。

絶世の美姫の結婚は、やはり政略結婚だった

政権が安定しない時代に生まれてしまったお姫様の結婚といえば、政略結婚が王道。国同士の安定を約束するために行われる政略結婚は、戦国時代に国王の娘として生まれてしまったお姫様にとって、避けることが出来ない運命なのかもしれません。

そんな運命は、もちろん、百度踏揚にもやってきます。

勝連城

百度踏揚の最初の結婚相手は、勝連城の按司でした。勝連城の按司といえば、琉球統一以降も台頭を続けてきた地方按司の代表です。生まれた頃からこうした地方の勢力におびえる暮らしを続けていた百度踏揚にとって、その代表格でもあった勝連按司の元へ嫁ぐことは、非常に複雑な思いがあったに違いありません。

そのため、この時の結婚については、様々な伝説が残されています。

実は二人は恋仲だった?

百度踏揚と勝連按司の結婚はあまりにもわかりやすい政略結婚であったため、「実は2人は恋人同士だったんじゃないか」という説があります。もしもこれが本当ならば、政略結婚に見立てた、計画的な大恋愛の末の結婚ということになります。

実は勝連按司の片思いだった?

最初の結婚相手となる勝連按司との結婚は、歴史上から見ても、見事な政略結婚です。そのため、百度踏揚には最初の結婚相手に愛情がなかったのではないかという説が一般的です。

一般的な政略結婚であれば、この状態であったとしても特に問題はないのですが、やはり、絶世の美女・百度踏揚ともなれば、話は違ってきます。なんと、そもそも勝連按司の方が百度踏揚に愛情があり、百度踏揚と恋の噂があった男性への嫉妬が、その後自分の運命を左右させる国家への反乱の原因になったのではないかという説があります。この説が本当なら、百度踏揚は、「男を誘惑する悪い美女」ということになりますね。

実は、本命の男性を連れて嫁に行った?

後に2番目の夫となる男性従者が、実は百度踏揚の本命だったのではないかという説があります。嫁ぐ以前から、この男性従者と恋仲だったという説もあれば、男性従者の片思いが実ったという説など、様々な伝説があります。

最終的に、2番目の夫となる男性従者に、最初の夫を殺害されてしまいますから、彼女の胸中としては相当複雑だったに違いありません。

翻弄された美女の結末は、やはり謎だった

戦乱の世に国のお姫様として生まれた上に、絶世の美女でもあったお姫様となれば、人生の結末は、謎に満ちているのが定説。案の定、琉球王国の絶世の美姫の最期も、謎に満ちています。

二度の結婚失敗で、結婚はもうこりごりだった?

どのような結婚生活を送っていたのかはわかりませんが、百度踏揚の結婚は、2度とも夫の死亡によって終わっています。特に、2人目の夫の場合は、命を狙われた百度踏揚を助けたことが、少なからず死のきっかけとなっているだけに、さすがに3度目という気持ちには、なれなかったのかもしれません。

分かっていることは、その後、若くしてこの世を去ってしまったということと、亡骸は、南城市玉城地区のとあるお墓に納められているということだけ。絶世の美女で琉球王国のお姫様の最期にしては、あまりにも悲しい結末とも言えるでしょう。

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